sabiyama600のblog

2018年07月


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                                     sdkfz234/ イタリア製の古い物

                今回のお題はドイツの8輪装甲車です。中々覚えられない型式名
     はマニアの方にお任せして、楽しく作ろうかと努力しますが
     この手は長期在庫放置車両の常連なのです。

                              


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         8個車輪があるということは普通の倍の手間暇
         が必要ということ=根気が必要=無理

         なんだか方向のわからないア-ムなど多数でうんざり


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           タイヤも9x2=18個分 貼り合わせて
           (一つはスペアタイヤです)
           
 

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                 隙間埋め
        
         トレッド部分は削ってややくたびれた感じ
         1日1個のノルマ




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        毎日1カ所ずつ作って1週間 辛い(本当です)




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      模型自体は出来るだけ少ない部品点数で 処理する工夫がなされて
      いますが、気が短い者には過酷過ぎて・・・・・



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          車体内部は再現上手抜きが多数 追加作業

       前後にハンドルが付いているのは間違えではありません。
       戦場で急いで後退する場合は反対側のハンドルに向いて
       運転するらしいのですが、チェンジやアクセルの部品も
       2カ所なのかは知りません。 正確な知識とモデリング
       がしたければ、↓のような書籍(英語)がでていますが
       非常に高価!! 買えるわけないよねえ で、謎のまま



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             主にヨーロッパ戦線で使用


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              鉄の錆止め塗装を再現して



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塗装が悪くて錆止めの下地が出てしまった表現(模型雑誌よりパクリ)



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車室内は備品を追加 


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外国のサイトより拝借

エンジンは空冷ディ-ゼル12気筒とありますがフェラーリ並みの
     外観に驚きました。



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深いフェンダーの隙間は物入れで合理的な設計



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一カ所 蓋を切り取って爆風で飛ばされた状態を再現しました。




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暑さも激しく 2か月ほど格闘後 途中放棄



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で、タミヤの兵隊セットへ移行


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左端の指揮官の改造

タミヤの製品は万人向けで無難上表現なのですが 当時の写真は
       失礼ながら凶悪で怖い 映画の悪役そのもの ↓



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こちらは映画”大脱走”の捕虜収容所長 こんな雰囲気



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外国の製品は表情豊かで、毎回これに交換しています
大きさは小豆粒と同じですが、超リアルなのです。



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努力次第でこんな風に出来ますが、私には技術的に不可能です。



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首から上を交換して、塗装
ちょっとイケメンになりすぎて失敗 



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不気味な眼光鋭い指揮官 有名な戦車乗りだそうです。

  せめてこの不気味な感じが出せたら・・・

しかし何度やってもだめだねえ



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またまた 横道にそれて 最近出た特集本を眺めて(日本人の著作)
本屋で数冊並んでいましたが、即売で最後の一冊でした


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タミヤのキューベルとシュビムワーゲン


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長年 灰皿だと思い込んでいた中央の箱は



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ガンラックだった


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スクリューの構造


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凄い仕組みでした

知りたい方は買って下さい



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最終は彼に乗ってもらい無理やりオチにしました。

                   続く
































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カメラのニコンが今年で100周年を迎えたそうです。
↑の画像は今年の3月頃に電車の吊り広告で大量に見掛けた物ですが


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やはり、ニコンと言えば ニコンF わかってるなあ
このメーカー!!

ホンダがCB750K0を誇りに思うのと同じ・・・

カメラマンの構えたFを奪い取り、 ふざけた瞬間を写したとか
     他にも色々 歴史の多いカメラです。






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40年近く所有するニコンFはモンローが手にする物と同じタイプ
ですが、シルバーのボディに飽きが来て、ブラックに変更したい




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ブラックニコン

いや、カメラを買い替えたのではなく、カバーだけを黒い物
  に交換するのです。 専門業者に頼めば黒塗装にしてくれるのですが
  10万近い料金を取られますので、数年前に部品取りの黒ボディを買っ
て移し換えたのですが、右肩のNIKONの刻印が気に入らない・・・

        

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     初期のタイプは右肩に Nippon Kougatu Tokyo の刻印 
     が入っていまして、俗称 ”富士山マーク” と呼ばれています。
     1959年から1969年あたりがこのタイプで、黒ボディにこの
     刻印が入った物は台数が少なく手に入らず、そして高価。
     



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             再度、現状品を落札

   邪道の道を究める上で黒ボディの富士山マーク入りをオークション
   で落札。この年式で非常に綺麗なのはおかしいと知りつつ、手が自然と
   動いて(笑)安い物にはわけがある 入札も少なかったし・・



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      移植作業というのは、よく考えれば2台分をばらすという事

      非常に細かい数ミリぐらいのネジをかなり飛ばしながら作業
      ピンセットでつまむだけで何処かへ飛来してしまうのです。

      老眼には辛い作ですが仕事では絶対有り得ない執念(笑)




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               ばらして観察


     やはり、業者による再塗装のようで、丁寧にメッキ剥離と焼き付け
     塗装がなされているようですが、肝心の刻印の色と塗り込みが下手


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            再組立てでネジを締めすぎた? 

     見えない場所なのですが、ひどい仕事 塗り替えをする業者は
     非常に少なくて、私の知っているところは4社(1社はトップレベル
     でしたが廃業)安いけど下手で悪名高い個人のあそこに違いない
     そこでのライカの再塗装品を見ましたが左右で光沢が違うなど・・・

     

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裏から叩いて修復してみました。

オートバイのバルブと革細工用の金槌


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             少しましになったか?

    シリアルナンバーはこの左側の刻印ですが、触っている間にはがれ
    ました。 前のオーナーは最低5万は払っているはずですが?



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           裏当ての金物も欠落なので移植


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           刻印の色はややベージュがかった白に

      元は白なのですが、経年で黄ばんできますので、ちなみにこの
      業者は青白い白を・・全然解っていない感じ。
      タミヤのアクリル塗料を塗りこんで、乾く寸前に拭き取り
      何度やっても旨くいかないので適当な所で妥協 人の悪口
      は言えないねえ。


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              こちらは本物

             使い込むとこんな感じ  
 


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                 移植完了

       右が純正 左が今回の物ですが美しさが全然違うねえ

            マニアは奴さんマークとも言います


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シリアルナンバーも入色

右の641xxxは昭和36年頃で当時物
今回の647xxxは昭和37年頃の番号
本体は72xxxだから昭和46年-47年で10年違う勘定です。

647はちょうど私の年式と同じ時代 交換した理由の一つです。
邪道なニコイチ作業の完了です。



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マニアの研究書より

車やバイクと同じで、長年の製造でパーツもそれぞれ違うので
     すが、もうどうでもいいじゃん!! 半世紀前の遺物だし

           自称 黒の初期ニコンFの完成





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道具は使ってこそ なのですが

久々にフィルムを買い 昔はコンビニで買えたのですが、今は
     ヨドバシカメラぐらいがやっと・・・


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で、プリント代も高くて結局蓋をして、デジカメを使ってしまう


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やはりご隠居さんの道具ですね          

              続く
 








               


    

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                                 信号で前に並ぶのはスズキバンバン

     バンバンと言っても昔の2ストロークのあれじゃなくて今のバイク。
     跨っているのは女性ライダーで上から下まで隙のない完璧な装備
     次の次の信号で同じく右折でしたが、素早い身のこなしで視界から
     去って行きました。 言葉では表せないカッコよさ!!
     レーサーレプリカでなく、バンバンだったのでさらに加点(笑)
  


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            で、話はバンバンに戻って
       
       スズキから4ストとして再販していたのは知っていましたが
       詳しく知りません。たまたま寄ったレッドバロンで発見!!



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太いマフラーとインジェクションから排ガス対策の苦労が
      感じられます。タンクのSマークが誇らしげです

エンジンの左側には200ccながらオイルクーラーが付く

この型のエンジンはオフ車系からの転用か、歴史の長い
       エンジンのはず、熱的に苦しかったのでしょうか?



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キックペダル無し(当たり前)

ちなみに在庫最後の1台らしく、43万 高いのか安いのか?

太いリアタイヤがパンクしたらどうしようかとか、バッテリー
     上がったら、もう終わり など相変わらず古い人間には無理

一生キック付きのフラマグ点火に乗り続けますかね



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1972年頃 淀川河岸での思い出

親父の新車DAX70エクスポートでツーリング



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バンバン90

こちらはもちろん他人の単車(承諾を得て跨りました)

リアキャリアが泣かせるなあ。



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これも他人のラジコンボート

木製なのです。



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最初は50ccと90ccでスタート

レジャーバイクというジャンルの最初でしょうか
砂浜をらくちんに走れるイメージが当時の私でも浮かびました(小3)



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最大排気量の125cc

私はこの125ccが好きです 結構高くて定価は15万
ハスラー125のエンジンを転用



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オークションでも人気らしく高値
  先の現行車の中古車相場と同じぐらいでした。



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当時のDAXもレジャーバイクで この車は後年、私の物
          となりました。1969年に新車で来て2000年頃まで所有
      父親より長生きして、名義も最後まで父親のままでした。
      この時小3の息子が後年乗り回すだろうとは思っていなかった
      はずです。




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同時期にはGT250やハスラ250など続々と出現

ところで 1972年

2018-1972=46

なんと半世紀前の話(バイク)じゃないか!!

                      続く
























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