春は近くにいてもまだ寒さは続く中、解体作業はお構いなしに継続され
日々刻々とマンモスアパートは姿を消しつつあります。
中央の扉は一機あったエレベーターの扉の裏側のようです。
そして解体ガラが1階のフロアを埋め尽くしています。
背伸びして押した呼び出しボタン!!
後年、改修に伴いボタンの位置も低くなったようです。
廊下壁の2色の塗り分けは伝承されています。
階段室の断面
日中も薄暗かった空間です
超望遠での撮影
室内より台所を通して共用廊下を望む・・・・という所でしょうか
紙のように引きちぎられたスチールの窓が力技を証明しています。
東向きのタイプ 右の窓は浴室だった所
そして断面を見ると顕著になるのは当時の建築工法です。
部屋によっては天井仕上げがコンクリート直である事。
壁も同じで今の建物のように石膏ボードが貼られていない!
すべてモルタル?を塗ってペンキ仕上げ。
何度も塗られたのか2cmはあるかも・・・・
溝のように残っている部分は壁や棚が当初からあった所でしょう。
建築材料も今とは比べ物にならないぐらい乏しく、鉄とコンクリート
モルタル、そしてペンキの組み合わせのみです。
昭和の台所
南向きのタイプの玄関と台所の現役時代の写真。
台所も物が少ない!!冷凍食品など存在しないので冷蔵庫も
低い!! その都度、当時は最新と呼ばれたアパートに住んでいても
市場へ食材を買いに行くのは他と変らなかったようです。
しかし、洋風便所と風呂が付いているのはステータスだったとか。
今ならちょっと一歩引いてしまうような風呂場兼洗面所です。
浴槽は木製、洗面台(選択場も兼用)はテラゾー(人造大理石)
これでも大阪市内ではトップクラスの設備だったようです。
(1957年当時)
勝ち名乗りを上げるような重機の姿
もう彼(マンモスアパート)が昔、どんなに素晴らしかったかなど関係なく
50年前は想像だにしなかった強力な重機によって急速にその姿を消して行き
つつあります。
昭和37年4月撮影。
続く